中年のおじさんです。
小学校時代、楽しくなかったけど、エレクトーンを習いました。
小中高と部活動でサッカーをしました。
中学ではキャプテン、生徒会長もしました。成績は優秀でした。いわゆる優等生でした。
高校では、進学校に、居ましたが、落ちぶれました。サッカーとバンド活動がよりどころでした。
都会に行きたくて、田舎から、都会の夜間大学に進学しました。が、ほぼ学校には行ってません。
そんなこんなしてたら、学生結婚、一女一男に恵まれ、急遽社会人になりました。長女が生まれたのは、自分が二十歳の時です。
そのころは地方自治体で生活保護のケースワーカーを割と長くしました。
そんなこんなしてたら、田舎の父親が、交通事故で高次脳機能障害となりました。
その頃から、脳科学や精神科疾患、精神世界に没頭しました。
そんなこんなしてたら、自分がうつ病の精神科の患者になりました。青年期の暗黒時代の到来です。
仕事は父の事故の後数年して、公務員は辞め、地元に帰りました。仕事は、いわゆる履歴書に書き切らないほど、沢山の業態・業種を経験しました。
最近で言うと、障害福祉関連の事業所にて働いた期間が長いです。業界で言うところのサービス管理責任者や児童発達支援管理責任者と言う業種です。
父は、数年前に脳梗塞を発症し、右半身の著障?全廃?にて要介護5となりました。よわい70を超えてきました。
結婚は2回、離婚は2回。今は、父を介護する母をサポートするかたわら、おしゃべりルームを開設しました。いわゆる80-50問題も視野に入ってきました
ぼく自身は障がい手帳は取得していませんが、発達障害でしょうし、自閉だろうと思います。現代の世の中には、なかなか居ないギフテッドだと思います。
ここからはポジティブなことを書きましょう。
人を含め、生き物を癒す才能があるようです。
人の才能を見出し育むことも才能でしょう。
適材適所とは簡単に言いますが、現代社会のルールの内側では、才能が眠り続けている人がたくさん見られます。ぼく自身もこれからといったところでしょう。
何しろ、1番ポジティブな要素は、地球を個人からデザインし直したいという情熱の持ち主だということです。
きらきら輝き始める人たちと協働して、よき地球をデザインしていきたいと思います。
2022.夏至の頃
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