人物像を時系列で書き始めたから
ここも時系列で行ってみよう
◯ ヤマハ エレクトーン検定8級
小学校の時に習ってました。8級って誰でも取れるので、書くほどのことでは無いのだけれども、自分の音楽に対する原風景でもあるので、あえて。
音楽教室のコンテストに出たことがあって、後にも先にも、一度だけ、山陽地区大会の「フェスティバル賞」という誉れをいただきました。ジミースミスのThe cat を弾きました。渋い小学生でしょ?Right?
◯ サッカー部キャプテン・生徒会長・学年トップの成績
中学校の時の話です。柄にもないことをやりました。やばかったです。ヤンキーに憧れた、田舎の優等生でした。高校以降、陰キャの劣等生になりますが、自閉傾向の少年が、社会と接点のあった、頑張った時期です。
◯ G大阪のユースのセレクションで最終選考(5次選考?やったかな?)に残る
小中高とサッカー頑張りました。プロになりたくて、中学校の終わりにセレクション受けまくりました。他のクラブは、箸にも棒にもかからんかった。最終選考はドキドキしたけど、会場の吹田の練習場に行ってみたら、レベチのマラドーナみたいなのを見てしまい、否、自分以外の全員がレベルが高杉で、自分には一生関係の無い世界だと感じました。打ちのめされました。
◯ 文化祭で予選を通過し、中庭でバンド演奏した
高校に入って、かねてからしたかったバンド活動を始めました。卒業とともに解散しますが、ニルバーナのコピーバンドをしてました。グランジ全盛期ですね。その最初で最後のギグが文化祭でした。予選はとても充実したのですが、本番では、中庭というオープンスペースで失敗しまくって、黒歴史に最大の汚点を残しました。直後、何日か?学校を休んだ記憶があります。ひきこもりの原体験ですね。
◯ 学生結婚。授かりました。
都会に出て、バンドマンになって生活していこうとぼんやり思っていましたが、高校の時のメンバーが奇跡の出会いだったことに気づいたのと、自分の才能のなさに打ちひしがれて、人生の迷子になりました。
が、しかし!光が来ました。家族が増え、子育て、社会人生活が始まる!いきなり生きるエネルギーフルパワーで稼働。
◯ 父の事故と障がいへの興味
20代前半、慣れない都会での生活をしてたら、田舎の父親が事故からの脳挫傷からの高次脳機能障害となりました。脳科学や精神福祉、また、その支援について、アメリカと日本の違いに愕然とし、うちのめされました。
◯ 親友の自殺未遂と精神福祉への興味
父の事故と同じくして、親友が過労で倒れ、脳にウイルスが侵入、半身麻痺に。入院先で自殺を考え屋上に上がるも、麻痺の身体では柵を超えられず、断念。死にたい時に、人は死ねない悲しみ。
職場の先輩が向精神薬の多量摂取で自殺未遂、別の先輩が、飛び降りで亡くなる。周囲でたくさんの人のメンタルが崩壊していく様子に気づき・目の当たりにしてゆく。
◯ 自身のメンタルヘルスの崩れ、うつ病体験
30代前半、周囲で起こっていたことが自分の身に。患者として、クリニックの様子や病欠を体験。当事者が、世の中でどう扱われ、自分がどう感じるのかを意識した。
人生で1番苦しかったのは、この半年間に集約された、といった体験。
◯ 精神福祉から精神世界への興味へ
人生を変えたくなった。
以降、「良い」と聞くものについて、何でも受けてみる時期。身体から、不要な電気を抜いてもらったり、ADHDに有効な体操を毎日してみたり、波動についての講義を受けてみたり、エッセンシャルオイルを使い出したのもこの頃だし、ヴィパッサナーの瞑想合宿にも行った。ソマティックエナジェティクスの施術を受け始めたのもその頃、イギリスにスピリチュアルツアーにも行った。グラストンベリーでUFOを見たし、乗せてもらった。活字を一生分読んだと思うのはこの時期だ。
◯ 障がい福祉に没頭。ピアとしての支援。
30代後半から40代へ。仕事は、当事者体験でもある障がい福祉分野に移行。作業所、地域活動支援センター、グループホーム、放課後デイ・・・得意は貧困層やそのほかギフテッドたちの才能を見出すこと。
一支援員から始まり、管理職、老舗から新規立ち上げ、スタッフの教育や、地域との折衝、役場の活かし方・・・いろんなことを体験しました。たくさんの人に迷惑をかけまくった時期。破壊と創造。
◯ 世界の価値観を変えたい思いが芽生える
「よろこびの交差点」という構想が芽生える。このことについては、どこかでまた触れます。
過去の様子はそんな感じです。
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